卵の側に立つ

村上春樹さんが好きなひとはすでにもう知ってるひとも多いんじゃないかと思いますが、これすごく感動しました。
先日、村上春樹さんがイスラエルから「エルサレム賞」が授与されるという話が持ち上がってから、一部のひとたちからその賞に対する辞退要求などが出されました。理由はこうです。
拝啓 村上春樹さま ――エルサレム賞の受賞について
http://0000000000.net/p-navi/info/column/200901271425.html
「エルサレム賞」受賞に関する村上春樹氏への公開書簡:パレスチナの平和を考える会
http://palestine-forum.org/doc/2009/0129.html
mixiをやられている方は↓を見てもいろいろな意見が出ていて、おもしろいと思います。
「エルサレム賞」辞退要求に対する意見」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39556499&comment_count=35&comm_id=178797
で、僕も村上春樹さんがどうするのか、とても気になっていました。
きっと春樹さんは、文体も顔つきも静かな愛情に満ちている感じですが、心意気はハードボイルドな少年なので、なにを!という反骨精神も手伝って、行きたくなくても行っちゃうんじゃないかと思っていましたが、実際は想像をはるかにうわまわっていました。
村上春樹さんのイスラエル講演をハルキ風に和訳してみた
http://ahodory.blog124.fc2.com/blog-entry-201.html
たくさんのイスラエルのひとびとを前に、どれだけのひとがこれだけのことを言えるでしょう。
小説家らしい、たくさんのウィットや皮肉と、村上春樹さんらしい優しさのこもったスピーチに思えました。武器ではなくこうして言葉で立ち向かえば、世界は動くんじゃないかと心が動かされました。
特に、「そして僕は、立ちはだかる壁とそれにぶつかって割れる卵となら、その壁がどれほど正当でまた卵がどんなに誤っていようとも、卵の側に立つ」のところが好きです。
幼稚なたとえですが、誰でもむかし一度は、なんだか知らないけどみんなでよってたかってひとりの子をからかったりいじめたりしているのを見てて、「やめろよ!」って言ったり、言いたくなったりしたことがあるんじゃないかと思います。
内容がどうのじゃなくて、その構図がヤなのです。でも年を経るにつれ、僕もだんだんと集団の中で生きる知恵をつけ、言わなくていいことは言わず、いつのまにか心にもないことも言えるようになりました。
しかし、どこかでやっぱり、いつか言わなければいけないタイミングが来たら、きっと僕だってまだ言えるんだと、小さな自負を必死に守って、自分に言い聞かせていました。
だから、爽快だったのかもしれません。勇気づけられたのかもしれません。
そうしたひとたちの気持ちは、たとえひとつひとつは小さくても、しっかりと心の中を明るく照らし、いつかみんなが力をあわせて太陽のような輝きを放つのかもしれません。
一発の巨大なミサイルや、どんなに複雑で暗澹たる社会構造が立ちふさがったって、僕たちの思いに勇気さえあれば、いつかは打ち破ることができるのかもしれない。
オーバーかもしれないけど、そんなふうに思って、心が熱くなりました。
あとで知ったら、翻訳元のイスラエルポストは一部をカットオフしていたみたいで、他にももっと踏み込んだことを言っていたようです。
卵と壁 – Les vacances de Monsieur Keitaro
http://d.hatena.ne.jp/nakamu1973/20090217/1234789406
いやーすごい!
反対や心配をしていたひとびとにとっても、よいニュースだったのではないでしょうか。
誰かも言ってたけど、なんでテレビのニュースや新聞はもっともっと大きくこういうことをとりあげられないんだろう?
とにかく、僕はこの小説家をずっと好きだったことが、誇らしいなあ。嬉しいなあ。

3件のコメント


  1. はじめまして!
    mixiの「エルサレム賞」辞退要求に対する意見」
    から流れてきました。
    春樹さんのお父さんのくだりは、英語がわからず上手く読めなかったので、とっても有難く思います。
    お父さんとのエピソード、彼の心の暖かさというものはそういうことから育まれたのだな、とこちらも心の柔らかいところをフワッと包まれた気持ちになりました。
    弱い者いじめの下りのところ、本当にそう思います。
    今日まさに職場である人が批難されていて、
    ねぇと同意を促されても頷かず、
    春樹さんだったら今ここで何て言うのかなと
    うわの空でずっと考えてしまいました。
    私もblogでスピーチについて思ったことを書いて
    みたのですが、なんだか熱くなっちゃって上手くまとめられませんでした(笑)
    あんな格好いい大人になりたいですね。

  2. そーるわん

    maitancoさん
    コメントありがとうございます。
    お父さんのくだりのところは、僕も春樹さんが奥さん以外の血縁者についてほとんど語られてないことや、まだ他で翻訳されているのを見つけられていなかったこともあって、夢中で訳しました。
    滅多に聞くことができない家族に対する暖かい思いを知ることができて、僕もとってもよかったです。
    立場や力や人数的に強いひとたちが、そうじゃないひとをいじめるのは、本当にカッコ悪くてみっともないと思います。
    それでもそんな構図が消えないのは、相手の立場にたってものを考えるということができないんでしょうね。誰だってそのひとの立場に立ったら、つらくて苦しいことですから。
    春樹さんなら(なんの短編でしたっけ)、僕を孤立させようとした○○さんより、なにより怖いのはその○○さんの言うことを鵜呑みにしてなんの疑問も抱かず、一斉に信じて集団で声をあげる想像力のないひとたちだ、みたいな小説の一文ありましたよね?そんなことを言うのではないでしょうか。
    春樹さんカッコいいですね。僕らもあんなふうになれるようにがんばっていきたいですねー。


  3. お返事ありがとうございます。
    その短編の下り覚えてます…が、タイトルが思い出せません。
    これは探さなきゃ!
    女性の集団に多く見受けられる事ですが、
    その人自体の立ち居振る舞いや行動、思考回路を
    よーく観察していると、大体どういう経緯でそうなった
    のか想像つくから面白いですよね。
    双方の事実確認は必要ですけれどね。
    小学生の頃、人を見る物差しを長く持てば、
    なんでも測れるんだよと教えられました。
    そして春樹さんからはその在り方を
    教えてもらったような気がします。
    日々精進!

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